Interview vol.2
古木克明×竹下雄真

人生は自分次第で何度でもやり直せる
それを証明する

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古木 克明(ふるき・かつあき): プロ野球選手として活躍後、総合格闘家として華々しくデビュー。 大晦日のダイナマイトで、格闘技評論家から絶賛された古木克明氏が、今、再び、プロ野球の世界に挑戦している。格闘家への転身、プロ野球への再挑戦と、トレーニングを通して挑戦し続けている二人が、未来に向けて語り合う。

格闘技の祭典である大晦日のダイナマイトで、格闘技評論家から絶賛された古木克明氏が、今、再び、プロ野球の世界に挑戦している。格闘家への転身、プロ野球への再挑戦と、トレーニングを通して挑戦し続けている二人が、未来に向けて語り合う。

―――お二人の出会いは?

古木克明選手(以下:古木)
「竹下さんとの出会いは、格闘技に転向して2週間位たった頃。知人を介して紹介してもらい、その週からトレーニングが始まりました。当初、約4か月後に試合の予定があったので、夏前から基礎体力を作り直したいと思いました。結局試合は、6ヶ月後の12月になりましたが、トレーニングのおかげですべての身体能力がバージョンアップしました」

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竹下雄真(以下:竹下)
「小さい頃から野球一筋だった野球選手を、プロの格闘家の身体にしていく使命がありました。僕自身、面白いことが好きなので、『甲子園で大活躍、プロ野球でドラフト1位、四番打者』という肩書きをもつ野球選手が、プロの格闘家を目指すことにワクワクしました。話題性が先行し、むやみに格闘技に挑戦する人は、過去にもいたかもしれません。しかし、古木さんのように、勝つために本気で挑戦している人は、今までいなかった。話を聞いて、すぐに、トレーニングをやらせてもらいたいと思いました」

古木:
「最初は、トレーニングに前向きになれなかった。「やだなー」と思いましたし、実はそれまで、あまりトレーニングをしてこなかった・・・」


竹下:
「見た通り、天性の身体能力の持ち主だから、野球をやる上では、敢えてトレーニングをやらなくてよかったんですよ」


古木:
「格闘技の技術も学ぶ必要があるので、正直、トレーニングのための時間が取れるか不安でした。しかし、始まってみると竹下さんのトレーニングは、今までやったことがないものばかりでした。トレーニングをやる意味から教わることができたのが一番良かったです。 例えば今までは、二の腕のため、胸筋のためと、部位のみにフォーカスしたトレーニングをしていましたが、竹下さんのトレーニングは、二の腕を鍛えるために下半身から全身の筋肉を使って、身体全体を連動させたトレーニング。初めてでしたが、すんなり入れました。いろいろな角度からアプローチしてくれ、とても良いトレーニングだったと、今でも思っています」

―――運動メカニズムに対応しながらの身体づくり。格闘家時代のトレーニングから学ぶ。

竹下:
「格闘家と野球選手のトレーニングで一番の大きな違いは、減量があるか、ないかというところ。格闘技は減量がありますが、野球はたとえ60キロの選手であっても、100キロの選手と対戦する。専門的な話でいうと、競技時間も、運動量も違うので、そのあたりが重要です。
総合格闘技だと5分を3ラウンド、それ以外は10分、5分、5分の3ラウンド。インターバルは1分くらいですから、まずは『持久力』を落としてはいけない。落としてしまうと相手に捕まる。さらに、毎回、攻撃しても力が落ちない身体能力も付けなくてはいけない。力の持続性(パワーエンデュランス)に着目していました。

デポルターレクラブがまだなかったため、茅ケ崎のビーチで、砂浜の足場の悪さを利用しながら、心拍数をチェックしつつ、ダッシュするようなサーキットトレーニングをしたり、湘南平の滑りそうな山道で、格闘技の時間と同じ5分間のダッシュなどもしていて、かなりきついものでした。野球選手にはそこまで必要のないトレーニングですが、足場の悪い砂浜や山の傾斜を相手にトレーニングすることで、自然なかたちで、体幹への負荷をかけていきました」

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―――トレーニングの成果は?

古木:
「自然の中でのトレーニングは、特に、足場が悪い中で走るので、その分、集中力もつきました。それと、『回復力』が早くなった。どれくらい心拍数が落ちたら、どれくらいで動けるようになるか、自分を知れたことが大きかった。いろんな意味で、自分を知れました」


竹下:
「1か月くらい、夏場に集中して、海で砂だらけになって。
トレーニングが終わったら、みんなで海にドボンッって飛び込んで・・・。ブラジルの格闘家がやっていることを、湘南でやっていたので、とても気持ちよかった。本人はつらかっただろうけど(笑)」


古木:
「今でも、あのトレーニングはやりたいと思う。膝や腰を鍛えるために、そういうところで走りたい」

―――トレーニングへの意識が変わった。

竹下:
「朝早くから東京で寝技の練習をしてから、茅ヶ崎の友人のジムでストレッチした後、ビーチまで走り、砂浜ダッシュなどを行い、また、ジムまで走って戻る。その後またウエイトトレーニングなどをしてから、東京へ戻って、さらに格闘技の技術練習をする。すごい精神力がないと続けられない。

プロの格闘家としてリングに立とうとしていたので、当然、そこで最大限のパフォーマンスを出せるように準備の手助けをするのが僕らの仕事。
日本のプロスポーツの最高峰であるプロ野球界で、ドラフト1位で入った人ですから、やはり、持っているものが違うと思いました。トレーニング自体はかなりきつかったと思います。しかし、ずっと野球をやってきて、トレーニングも好きではない中、黙々と挑戦している姿は普通の精神力ではないでしょう」


古木:
「トレーニングで一番大変だったのは、実は、通うこと(笑)。
茅ケ崎までの距離がつらかったけれど、場所を変えたことで、良いリフレッシュにもなった。もちろん、トレーニングは野球選手時代にはやったことがないものばかりできつかったけれど、意識の高いトレーニングをさせてもらえた。今まで、当たり前だと思っていたやり方も、『脇をしめるために、何をしなければいけないか』と教わるなど、理解できていく過程も楽しかった」

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竹下:
「大きなリングに立つんだというイメージを強くもってもらいたかったし、僕自身も、そのイメージを共有しながら、彼に接していました。野球では年間のスケジュールは決まっている。プロ野球だとなおさらで、オープン戦に始まり、シーズン終了まで活動時期が決められています。でも、格闘技のように活動時期が分からない中での準備だったので、メンタル面の維持が重要でした」


古木:
「格闘技の試合は、通常1、2ヶ月、短いと2週間前に決まります。その中で、自分の理想の姿を描き、具体的にイメージしながら練習していくことを教わりました。格闘技を引退して、野球をやり始めると、格闘技に挑戦していたときに、とても大切なことを教わっていたんだと、初めて気づきました」


竹下:
「結果的に、古木さんも練習と準備を重ねて、大晦日のダイナマイトという格闘技の大会で、5万人もの大観衆の前に立つことになりました。アンディ・オロゴン選手との試合では、解説の格闘技評論家が、興奮して絶賛のコメントを寄せていました。しかし、僕は、古木さんからは、もっと格闘技がしたいというエネルギーを感じなかった。
今でも覚えているのが、湘南平でこれからのことを話したときに、本人から「格闘技のイメージが沸かない」と言われたこと。これでは、格闘家としてうまくいかないな・・・、そう思いました」


古木:
「優秀な選手はイメージを具体的に持っています。こういう努力をしているから、こうできるだろうと。
どの世界でも成功している人は、目的が具体的に描け、はっきりと語れるのだと思う。イメージをよりリアルに描くことが、メンタルの強さに繋がると思います」


竹下:
「『アスリート向けの脳の使い方セミナー』に参加してもらったときも、当時は、自分がどうなりたいかが分からないようで、僕が、「格闘技で優勝して、チャンピオンベルトをしながらガッツポーズでいいのでは」というと、しぶしぶって感じだった(笑)」


古木:
「今になって、そのセミナーの意味が分かります。当時は、全く分からなかった。再び、野球を始めてから、すべてが繋がってきました」

―――人生のやり直し。野球への再挑戦。

竹下:
「いつも、野球の話ばかりするんです。「古木さんは、本当に野球をやりたいんだな」って思いました。
だったら、野球をやればいいじゃんって。
僕は、ワクワクして面白いことが好き。話題性だけじゃなくて、ドラフト1位で、プロ野球で活躍して、大晦日に格闘評論家が絶賛するような試合をして、再び、プロ野球に挑戦しに戻ってくる。そんな人は今まで誰もいないし、想像するだけで、楽しくなってくる。僕ができることは少ないけれど、この人であれば、本人が強く望めば絶対にできる、そう思いました。
だから僕は、両方やったらと言ったんです。格闘技やりながら、野球をやったらと(笑)」


古木:
「無理ですよ。プロ野球に戻る辛さも知っているから」

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竹下:
「格闘技のトップファイターが、ちょっと鼻を折りながらバッターボックスに入る。ピッチャーも恐れている中、打てば、大ホームラン。そういうことを想像したんです!『格闘技と野球』、両方できるなんて、そんな夢みたいなことを成し遂げた人は、今までいないし、両方で活躍できたらすごい!そんな漫画みたいなことを想像して、楽しんでいた(笑)」


古木:
「簡単に言わないでくださいよ。
最初は本当に、再び、プロ野球に挑戦するなんて思いもしなかった。さまざまなかたちで野球を続けながら、ゆくゆくは、少年たちに野球を教えてあげられればいいと。
でも、タイミング良く、プロ野球への再チャレンジを勧めてもらえて、可能性があるなら、もう一回挑戦してみるのもいいなと思った。一度辞めているのだから、別にダメでもいいじゃないか、それよりも可能性があるならば、そこにチャレンジしてみたい。半信半疑だったのが、メンタルも含め、大きく変わりました」


竹下:
「僕は、彼がプロ野球に戻って、ホームランを打つことしかイメージしていません。そのイメージがないと、まず自分がワクワクしない」


古木:
「竹下さんから言われて、僕自身、すんなりイメージできたし、逆に、そのイメージしかできなかった」


竹下:
「プロ格闘技で、それも、格闘技の祭典であるダイナマイトに出場し、さらに2戦目では勝ってもいるのに、リング上で、全然、うれしそうじゃないんです」


古木:
「野球をまたやれると思うと、本当にうれしかった。今でも忘れない、プロ野球への再挑戦を決めて初めての練習の日、朝5時の集合でさえも、楽しかった。それまで、約2年もバッドを振っていなくて、振り方も忘れていて、素振りが終わった頃には、手の皮がむけていて。よくあんなスイングで、プロ野球を目指そうと思ったなって状態ですよ。でも、そこからすべてを変えるんだ・・・、全く違う自分が、始まりました」


竹下:
「それはもう、子供のような顔をして、うれしそうでした」


古木:
「今は先が見えないですけれど、やらせてもらっている限り頑張れるし、野球が好きだから辛くない。

プロ野球から格闘家へ転身して、またプロ野球選手を目指す。人によってはネガティブに考える人もいるけれど、僕は、人生は何度でもやり直せると思っているんですよね。それを身をもって証明したい。それを示していくことが、僕の生き方なんだと思う」

―――格闘家からプロ野球選手へ。身体の整備は、どのように取り組んだのですか。

竹下:
「大前提として、野球での身体のベースづくりは20年以上のキャリアで出来上がっています。さらに、格闘技という、野球よりも運動量の多い競技をしていたので、野球に戻すことはそれほど難しくありませんでした。
格闘技で鍛えられた部分が、野球に活きる場合もあります。例えば、減量の経験があるので体重コントロールも容易です。力が不足すれば体重を増やし、キレが悪くなれば落とす。格闘技の経験は、プラスでしかない、今でもそう思っています」


古木:
「一度野球を離れたことで、野球のことを客観的に見ることができた。ウィークポイントが、つかみやすくなりました。

また、極度のドライアイのため、プロ野球選手のときは、ぼんやり見えていることも多かった。目を治療したことで、視界がクリアになりましたね」

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竹下:
「古木さんの場合は極端かもしれませんが、僕は、一度自分のスポーツを離れて、自らを客観的にみる選手がたくさん出てきてもいいのではないかと思います。離れたからこそ、得られることが、たくさんあるはずです。

実際に、アメリカはシーズンスポーツの考え方ですから、大学までは夏場は野球、冬場はアメフトといったように、いくつかのスポーツを掛け持ちする選手がたくさんいます。大学卒業後にプロへ進んでも、NFL(ナショナルフットボールリーグ)とMLB(メジャーリーグベースボール)の両方でプロとして活躍する選手もいます。それも、両スポーツとも一軍で、両方ともスター」


古木:
「野球を辞めてから、気付いたことがたくさんあります。プロ野球の華々しさも知りつつ、冷静に自分のことを見ることができます。そういう意味では、一度、辞めてよかったと思うし、だからこそ、再チャレンジしようと思う」


竹下:
「18歳で、ドラフト1位でプロ野球選手になり、まわりにちやほらされ、サラリーマンが何年もかかるものを一瞬で手にしながら、若いうちから、深い部分まで分かる人なんて、きっと悟りを開いた人ぐらいでしょう。(笑)

怪我をしたり、引退したりする中で、普通は徐々に気付いていくものです。古木さんはもともと怪我が非常に少ない選手です。普通は、20年も続けていると、どこかが必ず悪くなり、その部分をカバーしながら競技するため、さらに違った問題がでてくる。古木さんの身体の強さは、天性のものでしょう。
身体は、まだまだ進化している。そんな中で、気付けたことはプラスにしかなりません。年齢的にも問題ないしプロ野球選手として、もう一度、前よりも活躍してもらいたい」

――――再び、野球に復帰し、11月のトライアウトに向けての準備はいかがでしたか。

竹下:
「トライアウトは、日程も参加も決定していたので、目標を定めて取り組めました。しかし、トライアウトが終わり、球団から声がかからず、そこからは大変だったと思う。例えば、恋愛でも、相手に選んでもらわないと始まりません。特に、古木さんは、次のチャンスが見えない中、明日呼ばれても大丈夫なように、心を折らずに練習を続けています。すごい精神力だと思う。その部分は、とても尊敬しているし、僕ならできないと思う。ゴールの見えない中の準備は誰しも難しく、普通の人なら崩壊しているかもしれない。その大変な中、やり続けている。野球の神様、なんとかしてほしい」


古木:
「2月のキャンプ後に呼ばれなかった時点で、少しペースダウンしながらやっていますが、つらいですよね。ただし、こうした状況さえも踏まえて、再チャレンジしたのです。

プロ野球にいたときよりも、今の方が、ずっと野球が好きになったし、好きだからチャレンジできています。自分で選んだ野球人生ですから、逆に、他の道を選んだ方が、つらいかもしれない」

―――古木さんが野球を諦めない、心の支えとは。

古木:
「野球が好きだということが前提ですが、やはり、励ましてくれる人がいるからです。
そういう方々に恩返しがしたい、だから可能性があるなら全部やってみたい。それが、今の僕の支えです。そうした方々がいなければ、トライアウトの1回目で、終わっていると思います」


竹下:
「古木さんのこうした生き方に共感している人は、すごく多いと思う。古木さんのFacebookを見ればわかる。答えが見えない中で、頑張り続けることや、結果がもらえるかどうか不確かでも挑戦し続けること。誰でも、人生で、同じような葛藤はあると思います。古木さんの場合、愚直に、向かっていっている」


古木:
「僕は、プロしか経験していないので、ずっとプロであり続けたいと思う」

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竹下:
「生涯、プロ宣言!古木さんなら、できるような気がする」


古木:
「最近、僕も竹下さんと同じように、ワクワク、面白く人生を生きていけるようになった。夢を持っている人は違う」


竹下:
「面白いとか、楽しいとか感じることは、とても重要です。目標を持つ時も、自分がワクワクするイメージがないと目標にならない。人間は誰でも、より良く生きるプログラムが埋め込まれていると思います。けれど、いろいろな挫折がそれを邪魔しているのではないだろうか。僕も、プロ野球選手になりたいと思った時があるけれど、高校生くらいの時にあの選手にはきっとかなわないと勝手に考えてしまった。だから、自分が、プロ野球選手になって、ホームランを打つイメージが沸かなかったんだと思う。
誰もが、さまざまな理由で、より良く生きようとする『プログラム』が遮断され、みんなどこかで諦めているんです。だから、古木さんに、それを打ち破って欲しいという願いと期待があるんだと思います。

『オピロイド』という脳内物質は、ワクワクするホルモンなのですが、古木さんはそのホルモンが人より多いんですかね?今の状況は、普通ならすでに辞めているくらい、大変なことをしていますから・・・」

―――お互いにメッセージを

竹下:
「古木さんのファンや、周りにいる人は、古木さんの『諦めない心』を自分に投影している部分があると思います。僕も含め、世の中には、さまざまな理由で、どうしても諦めてしまいがちなことがあります。古木さんが夢を叶えることや、生きざまを見せることで、多くの人が勇気をもらえるし、そういう存在でいて欲しい」


古木:
「竹下さんは、僕に野球を、再び目指そうと声をかけてくれ、実際に誘導してくれた。自分を元のレールに戻してくれた方。いつも感謝しながらやっています。
目標や夢に向かって突き進んでいる途中だし、これからも、もっとお世話になっていくと思いますのでよろしくお願いします。
竹下さんのお蔭で、面白いことをやれる自分に気付きました。また、何を言い出すか分かりませんが、そのときは、よろしくお願いします」


竹下:
「こわいな(笑)」

Location: 新日鉄君津球場July 2012
Photo: Takeshi IjimaEditor: Takako Noma